第34回『建築と仏像のさまよい紀行』(軍艦島の後半)
 
  調査したところ
  長崎県 端島(通称軍艦島) 世界文化遺産
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number01 日本で一番古い集合住宅 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number02 台風で破壊された第一見学広場
  今回はさまよい紀行「軍艦島」の後半です。
 ここであらためて長崎市及び東京理科大の兼松先生今本先生には、上陸させていただいたことに御礼申し上げます。
 
 軍艦島は、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産として登録されましたが、遺構の保存状態は極めて深刻だと感じました。
 島の名前の由来になった軍艦のシルエットも、このままではいつか朽ち果て形を変えてしまうのかもしれません。なんとか日本の新しい技術によって維持保存しなければならないと思います。
 私たちの礎として日本の近代産業を支えた軍艦島は、その場所でどのようなことが行われていたかを含め、産業革命遺産として未来永劫忘れてはいけません。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number03 貯炭場全景 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number04 ベルトコンベアの柱
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number05 設備施設と端島小中学校 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number06 第二坑口付近
 昨年12月のさまよい紀行を書いてから今回の軍艦島後編を書くまで、3ヶ月以上を要しました。読んでいた方々からは、「どうした?」と聞かれましたが、とにかく1月から2月までは怒涛の日々でした。
 今までに経験したことのない業務が多く、就業時間外でも仕事のことが頭からはなれず、紀行文を書く気力が湧きませんでした。
 そしてむしろそのことは、健康で仕事に恵まれ充実した日々を送っていたということですから、私はしあわせものだと感じます。
 
 「2011年3月11日」あれから8年の歳月が経ちます。長いようであっという間の8年でした。立場が違えば想いもさまざまだと思いますが、そのことが時間の経過で過去のものにできるほどやさしいことではありません。
 
 私は「旧大川小学校震災遺構基本設計」に約一年間関わりました。その間震災についてたくさんのことを学びました。多くの方の想いが正確に伝わるように協議を重ね、みなさんに理解していただける施設の基本設計ができたと思います。
 宮城県石巻市の旧大川小学校の校舎の前に立つと、在りし日の姿が思い浮かび、子どもたちの元気な声が聴こえてきます。いつ訪れてもこみ上げてくるものを押さえきれずに、「二度とこのようなことが起きないようにします」と誓って校舎から離れます。
 きっと数年後には、この場所が遺構として、そのとき起きたことを世界中にきちっと伝える場所になるはずです。
 そして、ここで命を落としたすべての人々の慰霊の場所になるはずです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number07 旧大川小学校校舎 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number08 津波で破壊された旧大川小学校渡り廊下
 さて、軍艦島に話をもどします。コンクリートが朽ちるとはどのようなことでしょうか。前回書きましたが、2000年を過ぎてもなお現役で使用されているコンクリートの建造物もあります。その一方で50年も経たずに劣化してしまうものもあります。しかしそれは環境や施工性に依存することが多く、コンクリートの品質そのものには問題がない場合もあります。
 
 鉄筋コンクリートの強度は、圧縮力(押す力)に強いが張力(引っ張る力)に弱いコンクリートと、そのままだと圧縮に弱いが、引っ張る力にはめっぽう強い鉄筋の共同作業で完成します。うまくできたものでそれらは、温度による変化がほぼ同じという特性を持っているため、抱き合いながら、熱いときには一緒に延びて寒いときには一緒に縮むといった、いわば一心同体のベストパートナーとなってコンクリート構造物はできあがります。
 さらに、鉄筋はコンクリートのアルカリ成分によって錆から守られコンクリートの中で力を発揮し続けています。
 しかし、そのアルカリ成分は、コンクリートの経年劣化にともない徐々に減少してしまいます。鉄筋の腐食を促す中性化の勢いは、時間の経過とともにコンクリート表面から中へと進みます。残念ながらこの劣化を食い止める術は極めて困難なので、コンクリート表面に近い鉄筋から腐食は進みます。そしてコンクリートに守られた鉄筋を錆びさせるには、酸素と水分が必要で、さらに錆を進行させるためには塩分の役割が大きくなります。
 ですから、海に近い建物や、海水や海砂を使用したコンクリートの場合は、劣化の進行が早まることがあります。
 
 さて、鉄筋はコンクリート内部のどの程度の深さにあるでしょうか。鉄筋の力を発揮するためには、できるだけコンクリート表面に近い位置に配置されるのが理想です。しかし先ほど書きましたとおり、表面に近ければ近いほど錆やすくなるというリスクを持っています。したがってちょうどいいあんばいの位置に配置するのが大切になります。建築用語ではこのことを「かぶり深さ」といいます。浅い場合は錆の進行が早まってしまい、コンクリートの寿命を縮めてしまうのです。これが施工性の問題ということです。
 軍艦島は、真水が少なくセメントも船で運び込む必要がありました。波が高ければ接岸もままならず工事は過酷を極めたと思います。
 そのような環境の中で完成した建物が現在のシルエットを形成しています。
 そのようなことを考えながら、桟橋から島を見渡すととても感慨深いものがあります。
 軍艦島の建物の中には残念ながら「かぶり深さ」が少ないものも多数見られ、それらの建物の柱や梁からは錆び付いた鉄筋が露出していました。
 もちろん100年を経過した建物がたくさんありますから、ある程度の経年の変化はやむを得ないでしょう。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number09 柱の主筋の錆 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number10 柱の主筋の錆 1
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number11 日本最古の集合住宅内部 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number12 日本最古の集合住宅内部 2
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number13 設備施設の朽ちた鉄骨屋根 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number14 学校側からみえる生産施設
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number15 変電施設 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number16 変電施設 2
 30号棟は1916年(大正5年)の建設ですので、すでに100年の年月が経っています。現状はかなり劣化が進み、調査であっても建物内部に入るのには勇気が必要です。
 鉄筋コンクリート造で建物の平面形状は正方形の7階建です。南面の写真でわかるとおり、外側スパンに連層の壁がバランス良く配置されています。また内側スパンは、ほぼ純ラーメンの柱と梁で構成されていすが、残念ながら劣化が激しく錆びた鉄筋がむき出しになっています。
 この建物を補修し維持するのは非常に困難だと感じます。なにか画期的な技術で劣化の進行を食い止めて欲しいものです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number17 日本最古の集合住宅30号棟 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number18 30号棟と生産施設
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number19 30号棟 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number20 30号棟 2
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number21 30号棟 3
 30号棟の西側は海峡側の海に面していて、台風時や冬型の気圧配置になったときは風雨と波浪にさらされることは予想できます。そのような場所に巨大な防波堤のように立ちはだかる31号棟があります。平面的には九の字に細長く屏風のように海に面して建っています。
 建設年は1957年(昭和32年)で、30号棟から約40年後に建てられた鉄筋コンクリート6階建ての建物です。
 劣化は経過年数と海からの距離におおいに影響されますので、30号棟よりは劣化は進んでおりません。しかし岸壁のすぐ近くで防波堤のように建っているので、海水に洗われ海側の面の鉄筋は錆て露出しています。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number22 海に屏風のように建つ31号棟 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number23 映画館と31号棟
 31号棟のすぐそばには映画館がありました。
 映画館の柱と壁にはタイルがほどこされ化粧されています。
 タイルは劣化せず当時の面影を残します。
 しかし、それ以外の部分は劣化が激しく、周辺も含め廃墟のようなたたずまいです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number24 映画館 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number25 映画館 2
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number26 映画館 3 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number27 映画館 4
 小高い山の上には3号棟があります。島の中央で高台の立地なので、直接的な海水の影響は比較的少なかったと予想されます。しかし飛来する塩分等で劣化した屋上パラペットが最上階の部屋に垂れ下がっています。
 高台にあるだけに、軍艦島のシルエットには大きな影響があるため、劣化の進行を遅らす努力が必要になります。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number28 高台に建つ3号棟 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number29 3号棟の最上階にたれさがるパラペット
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number30 シルエット上重要な3号棟と貯水槽 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number31 台風で破壊されたドルフィン桟橋と
高台の3号棟
  高台には神社もありました。この建物もシルエットを形成する重要な建物になります。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number32 端島神社 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number33 神社をみあげる
 狭い敷地だったからだと思いますが、今では当たり前の屋上緑化もみられます。当時としては斬新ですが防水はどのようにして行っていたのでしょうか。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number34 屋上緑化した建物 1 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number35 屋上緑化した建物 2
 産業革命遺産としての端島ですが、劣化の進行上非常に厳しい状況にあると思います。なんとか英知を結集し、新しい技術で軍艦島を未来に継承できることを希望します。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number36 第四坑口付近 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number37 ふさがれた坑口
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number38 レンガで組上げた堤防 Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number39 ドルフィン桟橋からみた堤防
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number40 貯水場がシルエットを形成する Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph34 Number41 シルエットを形成する高台の神社
 本題から逸脱してしまいますが、軍艦島をさまよったときに、「働き方改革」のことが脳裏をよぎりました。
 「働き方改革」は作業効率を向上させることで、残業時間の減少や休暇の取得を推奨する動きです。しかし、休暇と時短だけがクローズアップされて、本来の効率向上のための努力が抜けているのではないでしょうか。この努力は労使ともに行うべきことで人任せでは売り上げが減少します。
 その一方で、もっと働きたい人もいれば働きたくない人もいます。もちろん健康上の理由等で長時間働けない人もいると思います。さらに、だらだら仕事を引き延ばすのは論外としても、経験によって成長するような職業は、その機会を奪われていると思います。
 病気のとき経験の少ない医師に診察されるより、経験豊富な方に見てもらいたいし、業務の相談をするときに経験の少ない人の判断に頼るのも心もとない感じがします。お寿司屋さんを選ぶときも、サラリーマン的板前さんより熟練の板前さんを選びたいです。
 他の人より能力が劣る人のなかには、時間をかけて成長する人もいます。ですから一律で労働時間を法規制するのではなく、その人の個性に合わせて、健康管理をしながら労働時間を決めることが大事だと思います。
 なんでもかんでも法律で決めるのではなく、「なあなあ」や「だいたい」みたいな感覚が欲しいなあと思います。法律でがんじがらめに規制しだすと、相手を尊重せずに一方的に規則を盾に権利を主張してしまう人が生まれ、人間関係がギクシャクしてしまいます。法律に沿った権利の主張は正しいでしょう。しかし、その主張には常にあたたかい人間の血がかよっていなければならないはずです。
 
 「働き方改革」には人間の血が流れていなければならないはずですが、冷たいロボットのような姿を感じることがあるのは私だけでしょうか。
 働きすぎることを犯罪のように決めつけますが、そもそも「過ぎる」とはどの程度の量を言うのでしょうか。
 42kmのマラソンを2時間少々で走る人もいれば、6時間をついやして走る人もいるでしょう。もちろん途中で棄権する人もいると思います。人間の能力はそれぞれで違うはずです。ですから、国が法律で一律に決めるのではなく、その人間の能力に合わせて働くシステムを作ることのほうが合理的なのではないでしょうか。
 時代が進みAI技術が発展したその先には、働きたくても働けなくなる時代がすぐそこにきています。
 以前書きましたが、今の仕事がルーチンワークだと感じたら将来はないと思います。私の職業は建築の構造設計ですが、常に新しいことへのチャレンジです。そのためにもアイディアが必要で、そのアイディアは、国の制限による働き方では生まれないと思っています。
 
 礼儀作法や年上を敬う態度や言葉使いが欠落し、むしろネットで検索した自分に都合の良い言葉を使って、もっともらしい理屈で正当化する人間が席巻する世の中には幻滅します。そして相手の痛みもわからず自己主張を繰り返す人間にも幻滅します。
 かつて、勤勉だった日本人が作り上げたすばらしい国は徐々に落ちぶれていくような気がします。