第27回『建築と仏像のさまよい紀行』 運慶展(前編)


 さまよったところ
 
  東京国立博物館
 興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」(東京国立博物館平成館)
 長岳寺(奈良県)
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number01 東京国立博物館本館 昼の正面玄関
設計は渡辺仁。コンクリートのビルの上に瓦。違和感ありありですが、なぜか郷愁に誘われる作品です。
本館中央階段はドラマ「半沢直樹」のロケで使われました。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number02 東京国立博物館本館 夜の正面玄関
夜のライトアップされた正面も趣があります。渡辺仁の作品としては、銀座の和光ビルも代表作品としてあげられます。
 忙しかった11月も終わろうとしています。まだあわただしさは残るものの、ようやく「運慶」展を観ることができたので、その様子を2回に分けて書きたいと思います。
 今回のさまよい紀行は、「運慶」展の感想と、慶派仏像のさきがけとなる、阿弥陀三尊像を本尊とする奈良長岳寺をさまよった様子について書きたいと思います。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number03 「運慶」展のパンフレット1
 写真を見ただけでも興奮します。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number04 「運慶」展のパンフレット2
 願成就院毘沙門天像の姿は、貴族社会から武家社会への移行を予感させます。
 運慶は日本で一番有名な仏師だと思いますが、宗教的仏師の領域を超え、日本が誇る世界的芸術家として評価されるべきかもしれません。
 沢山の解説本や鑑賞ガイドが出版されていますし、運慶のメデイア露出度はとても高く、東京国立博物館(愛称トーハク)で開催されている「運慶」展には、信じられないくらいの多くの人が足を運んでいるというニュースが流れています。そのような情報を見るたびに、早く観てみたいという思いに駆られた運慶ファンが、沢山いたのではないでしょうか。もちろん私もその中のひとりとして、待ち遠しい思いでその日を待っていました。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number05 「運慶」展の長い列
運慶展が開催されている平成館前は長蛇の列です。
東京国立博物館の日傘、なかなかオシャレです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number06  運慶学園卒業式
幅広い年齢層にファンがいます。
みうらじゅんさんは存在感があります。
   まずびっくりしたのは拝観者数です。私が訪れたのは午後でしたが、拝観までの待ち時間は60分程度でした。時間帯にもよるらしいのですが午前中はすさまじい待ち時間だそうです。
 余談ですが、トーハクは私を含め多くの中高年で埋め尽くされましたが、隣接している上野の森美術館の「怖い絵」展は、対照的に多くの若者が長い列を作っていました。
 入場のために1時間程度待つと、今度は身動きが取れないほどの展示室に入ることになります。
 展示会場は、室温が高いときにチョコが溶けて取り出せないポッキーのようです。身体を回転しながら移動しても、まわりは比較的高齢の方が多く、強引な方がいらっしゃったり、水筒や弁当箱のような固いものを入れたリュックを背負っている人がいたりで、移動が困難だったり押されたりで、混雑しているときは仏像を鑑賞するような状況ではありませんでした。
 しかし、夕方には客足が断然減って、お目当ての仏像に絞ってゆっくり観ることができました。沢山の運慶作品に囲まれて幸せな空間を満喫してきました。
 特に追い出されるギリギリの時間帯には、最大の目的であった康弁の「龍燈鬼」の左のお尻を長時間にわたってひとり占めして観てきました。チビマッチョ、私の理想体型です。以前は定慶作金剛力士像があこがれの体型でしたが、お腹を見るたび程遠い体型に、現在は龍燈鬼を目指して日々筋トレしています。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number07  売店のオチャメな龍燈鬼正面
いつも踏まれていた邪鬼が主人公です。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number08  龍燈鬼お尻
私は左臀部の筋肉が好きです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number09  天燈鬼正面
ヤンチャな「ガオーツ」て感じ、大好きです。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number10  フィギュアのセールスポイントは「美尻もバッチリ」です。私以外にもお尻が気になる人いるんですね。
 さて、仏師運慶とはどのような人物だったのでしょうか。
 京都六波羅蜜寺では、息子の湛慶作と言われる父運慶の像を観る事ができます。その像はイメージと違ってなんだかとっても優しそうな人に見えます。もし作者が湛慶だとしたら、父であり師匠でもある運慶を、どのような思いで彫刻したのでしょうか。運慶は、運慶像の通り包容力のある優しい男性だったのではないでしょうか。
 平安末期、奈良仏師として華々しい活躍をしていた大仏師康慶の長男として生まれました。必然的に父を師事し、20代なかばに大日如来を完成させるまでの間、おそらく厳しい修行をしていたのだと思います。完璧な処女作を発表した人ですから、それまでも父のもとで沢山の作品に関わっていたと思います。
 先代が偉大すぎる後継の苦悩は壮絶なものだったと思います。たとえが正しいかわかりませんが、政治で言えば家康と秀忠、歌舞伎なら団十郎と海老蔵、落語なら三平と正蔵。数えたらきりがないほど、確執や悩み苦悩の中で頑張っている姿が思い浮かびます。
 いわば宿命のようにして康慶から続く一時代をになう慶派仏師集団を作り上げてゆきます。
 今回の「運慶」展では22体の運慶作品が一堂に展示されましたが、作品のすべてが、プレッシャーを微塵も感じないばかりか、誰にも遠慮をすることなく、むしろのびのびとその被写体の内面までも感じたままに自由に彫り上げているような気がします。
 
 さて、それでは同時代を兄弟弟子として生きた快慶との関係はどのようなものだったのでしょうか。
 以前、さまよい紀行で昭和の二大名人と言われる、落語家志ん生と文楽のファン心理に言及しました。破天荒な志ん生と名人文楽について、落語好きなら二人をそんなイメージでとらえて、かっこうの酒のつまみにして好き嫌いの激論を交わすことがあります。
 運慶快慶本人同士は、ライバルとしてしのぎを削る敵同士なんて考えていないでしょうが、ファン心理としてはどうしてもそのようなワイドショー的な対決の構図として見てしまいます。
 半年前に奈良国立博物館で行われた「快慶」展では、今回の運慶の作品より多くの作品が展示されました。しかし、展示会場を歩いていても、私の高揚感は「運慶展」より少し足りなかったような気がします。
 好き嫌いといった嗜好の問題もありますから、押し付けるものではなく決め付けるものではありませんが、私は、快慶の型にはまった美しい作品より、運慶のリアルだけどちょっとやりすぎ感のある自由な表現に惹かれたのかもしれません。
 志ん生にほれてしまう気持ちと「運慶ラブ」は極めて似ているような気がします。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number11  東大寺南大門阿形の足
運慶と快慶の共同作品です。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number12  二大名人運慶快慶の作品
それぞれが個性的で、一時代を築いた両雄です。
 そのような二人ですが、東大寺南大門金剛力士像の造営にあたり、阿形を運慶快慶の両名の大仏師によって行われたと言うことが解体修理によってわかりました。私はそのたたずまいや躍動感から、阿形は快慶、うん形は運慶だと勝手に思い込んでいました。しかし、全体プロデュースは別として、阿形は運慶と快慶の日本を代表する大仏師の共同作品だったというニュースを聞いて、胸が熱くなり、なんだかとてもホッとしたような感覚を覚えました。
 彼ら2人に確執はなく、お互いにそれぞれの多くの弟子を育てながら、鎌倉時代の仏師集団を牽引し、長い日本の仏教美術史の中でも最高レベルの作品を作ったのだと思います。
 
 
 運慶は、興福寺周辺を拠点とする奈良仏師康慶の長男として生まれます。運慶展では、興福寺四天王立像や法相六祖坐像など、平安仏とはちがうリアリズムに満ちた康慶作品が展示されています。
 また、玉眼の先駆けの奈良長岳寺の阿弥陀三尊像も展示されていますが、この仏像は慶派の出発点と言われ、作者は康慶ではないかという噂もあります。もちろん運慶以前に仏師名を仏像に残すことはありませんでしたから、作風や時代考証等によって想像するしかありませんが、系譜をたぐりながら仏像の旅をするのも楽しいものです。
 私は、奈良に宿泊するときは、奈良市の東南に位置する弘仁寺の宿坊を利用しますので、距離的に近い長岳寺は必ず拝観するルートになっています。薄暗い本堂のなかに浮かび上がる阿弥陀如来のシルエットは定朝様の体型ですが、目や皮膚の張りは奈良時代の金銅仏をほうふつさせ、厳しい表情で威厳に満ちた仏像に見えます。本尊の衣紋はやわらかで穏やかな平安仏像ですが、脇侍の衣紋は大胆ですが、上半身は素肌にジャケットではなく、素肌に薄羽衣でボディーラインが透け透けです。さらに中宮寺弥勒菩薩を思わせる妖艶な二の腕とすらりと伸びた足は躍動感に満ちています。輪郭がぼやけて、悟りきったような脱力感の仏像とはまた違った鎌倉時代への胎動を感じます。奈良時代に回帰したのかわかりませんが、少なくても平安時代に愛されたいわゆる定朝様と決別し、仏像の姿を大胆に変えて行くパワーを感じさせてくれる仏像です。
 弘仁寺から長岳寺そして三輪までの道は日本書紀にも記載されている「山辺の道」です。そんな古道を散策しながら、途中長岳寺でひと休みして、阿弥陀三尊像に感動し地獄絵図に震えた後に、境内でいただく三輪そうめんは絶品です。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number13 長岳寺楼門(重要文化財) Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number14 長岳寺旧地蔵院(重要文化財)
 長岳寺の三尊の作者は別として、躍動的で写実的な仏像を製作していた康慶は、驚きや尊敬の思いで受け入れられたでしょう。そのような有名で売れっ子仏師康慶の子息として運慶は、後継者としての宿命を背負い生きていくことになります。
 
 平安末期には、寺院のお抱え仏師からフリーの仏師が生まれます。康尚は、フリーの工房で仏像製作にあたった先駆けと考えられます。藤原道長の庇護のもと多くの寺院の仏像を製作したと思われますが、残存する唯一の作品として東福寺塔頭同聚院の不動明王坐像のみとなっています。同聚院の不動明王坐像は、とても興味深い仏像なのでいつか単独でとりあげます。その後、定朝が活躍しますが父は康尚ではないかといわれています。定朝は言わずと知れた宇治平等院本尊阿弥陀如来坐像の作者で、その作品の形式はいわゆる定朝様といわれ、その後の仏像様式の代表になります。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number15  宇治平等院
雅な平安時代の浄土庭園です。
本尊阿弥陀如来は、まさに雅にふさわしい気品に満ちた姿をしています。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number16  浄瑠璃寺阿弥陀堂
平等院と同様の浄土庭園を持つ浄瑠璃寺には、九体阿弥陀の形式の仏像があります。いかにも平安時代末期の定朝様を思わせる仏像が九体並ぶ姿は圧巻です。
 仏像を造営するのは、その当時の実力者がになうことになります。天皇が執政の中心であるときは天皇が行いますが、平安末期から事態は混沌としていて、摂政や関白といった貴族が政治の中心になります。その後鎌倉幕府が成立する頃には、平清盛や源頼朝のような武士が政権をになうことになります。したがってクライアントの影響は、時代ごとに仏像に色濃く反映します。
 平安末期の摂関政治の執政者は藤原道長でその子は頼道でした。
 定朝は当時の実力者頼道の依頼で多くの仏像製作にあたります。頼道は道長の別荘を大掛かりな改修で現在の平等院を建立しました。そして本尊阿弥陀如来の製作を定朝に依頼をしたと考えられます。
 定朝の弟子は覚助康助康朝と続き、直系ではありませんが、弟子の康慶が技術を引き継ぎ、天皇や貴族、武士とクライアントを変えながら仏像を造ることになります。そのなかでも康慶は、都の京都ではなく奈良の仏像修復にかかわることになります。
 「運慶」展では、そんな父である康慶の作品も展示されました。その中でも興福寺法相六祖坐像は圧巻でした。何度も見てはいますが、運慶の系譜としてあらためてみると興味深く鑑賞できます。特徴的な厳しい眼差しの肖像彫刻はとても印象的で、その場を離れても目線だけはこちらを追いかけてくるようでした。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number17  「運慶」展のパンフレット3
興奮がよみがえります。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number18  「運慶」展のパンフレット4
重源、存在感ありすぎ。
 さて、その康慶の弟子が言わずと知れた運慶(康慶長男)、定覚、快慶、定慶で、さらに運慶の弟子として湛慶、康運、康弁、康勝、運賀、運助が慶派の後継者として続きます。
 
 今回の「運慶」展では、運慶作品31体(トーハクパンフには異論があると言うコメント有り)のうち22体と、さきほど書いた運慶の前後の慶派の系譜を時代とともに配置展示されています。
 展示では、重源坐像がありました。第二回「さまよい紀行」で書きましたが、俊乗堂内部公開のときに観た重源は、恐ろしいような緊迫感とすさまじい迫力に圧倒されたことを覚えています。私にとっての運慶は、俊乗堂内の重源坐像の姿をイメージしてて、仕事の様子は、棟方志功にかさね一心不乱にノミを入れている姿を想像しています。
 
 自分にもとても厳しい厳格な人間像を想像しています。今残っている運慶を描いたものは、江戸時代の集古十種の線画と、六波羅密寺にある鎌倉時代の運慶坐像です。江戸時代の線画はどうかと思いますが、鎌倉時代の運慶座坐像は長男湛慶作とのことですから、きっと運慶本人に極めて似ているのでしょう。父親として、師としての運慶の弟子への接し方はその像に表れていると思います。その姿はゆったりと構えた優しい表情で、焼き討ちされた奈良を復興させた同志重源像の強烈な厳しさとはぜんぜん違います。
 
 今回のさまよい紀行では、運慶の作品について書こうと思いましたが、強烈な印象を残した展示鑑賞から日がまだ浅いせいでしょうか、次から次へと想いがあふれてきて、運慶作品についてまとめることができませんでした。「凄味」に圧倒されて言葉にならないのです。ダイレクトに心に響いてくるものが、他の時代の仏像とぜんぜん違うのです。それは、クライアントが天皇から貴族へ、そして殺すか殺されるかと言った戦争に明け暮れる武家社会への変化がそうさせたのかもしれません。
 過去のさまよい紀行では、2回目で重源像、25回で六大童子を書きました。今回は具体的な感想に触れずペンを置きたいと思います。
 
 形式美を重んじる保守的な世界の中では、その破天荒は許されなかったことだと思います。しかし、それを許された背景には、時代の大きな流れが影響したことと、今回の多くの運慶作品に囲まれたとき、運慶の熱意と天才的な芸術性がそうさせたように感じました。
 次回は第二段後編として運慶展を書きたいと思います。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number19  興福寺東金堂
東金堂にはたくさんの仏像が堂内に納まっています。
焼失した西金堂と中金堂にはどのような仏像がどのように納まっていたのでしょうか。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number20  北円堂
むじゃく、世親像が安置されています。堂内を一周できるようになっていますが、憂いをためた表情とは対照的に、とても頼もしい大きな背中が印象的です。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number21  中金堂の建設現場
素屋根からみおろす東金堂と五重塔。二度とこのアングルは体験できないでしょう。
Photograph of Travelogue of Building And BuddhismStatue in Paragraph27 Number22  中金堂の建設説明パネル
石端建て工法の様子が見られます。